2008年07月27日
金沢の歴史
「金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。
戦国時代の一向一揆で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。
織田信長配下の柴田勝家の甥佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に尾山城を築城した。
賤ヶ岳の戦い以降、前田利家が尾山城(金沢城)を居城とし、加賀藩の原型が形成された。
加賀藩3代目藩主前田利常の時代には支配機構の整備が行われ藩体制が確立した。
5代目藩主前田綱紀は名君として名高く、木下順庵や室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめ学問を振興した。
また彼は書物や美術工芸品の収集にも努め、それらは尊経閣文庫と呼ばれ現在に残る。
その後金沢は150余年に渡り、加賀百万石の城下町として繁栄することとなる。
参勤交代の時、前田氏は約2000人の家来を従え、現在の価値で片道約7億円をかけて江戸との間を往来した。
金沢は、江戸時代に三都(江戸、大坂、京)に次ぐ日本第4位の人口(約10万人)を擁する大都市として発展し、美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた。
明治時代に入ると、旧制第四高等学校(金沢大学の前身)や日露戦争の旅順攻囲戦で知られる陸軍第九師団が置かれ、学都・軍都として栄える。
太平洋戦争では金沢は空襲を免れた。
このため江戸から大正・昭和まで各時代の面影が残る小京都の代表格となりました。
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Posted by ルパン8世 at 14:33│Comments(0)
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